2022年12月5日月曜日

原西校区に太閤が来た?


原西公民館に配布された情報誌の中に
原西校区の今昔が紹介されていました。

なお、以下の記事は情報誌の編集者からの
事前了解を得ての投稿です。


豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、唐津に名護屋城を築きましたが、そこまで行くのに通ったという道が
太閤道」です。
その一部が原西校区を通った・・という説です。

原交差点付近にある諏訪神社で休息し西へ向かいましたが、はっきりとしたルートは不明ですが、現在の原交差点から西の方向への道が昭和の終わりに開通したバイパスを除いて2か所ありますので、どちらかと思われます。

そのほか、校区内の寺・神社の紹介やいわれ等も記述されています。有田の「お日待ち」「松口月城通り」・戦国時代の荒平城落城からの小田部教善寺・小田部宝満宮のいわれなどなどです。遺跡のことも記述があります。

校区にお住いの方もご存じでなかった情報も1ページですがたくさん書いてあります。まだまだ身近なところにいろいろな歴史が隠れているかもしれませんね。他に情報がありましたら公民館までお寄せ下さい。



この情報誌の名前は遊人(ゆうじん)冬号になります。
公民館には数冊置いていますのでご希望の方にはお分け
いたします。ページは8ページあります。



そのほかの記事には岩手県の旅


博多の新年の初もうでの場所として、
櫛田神社と筥崎宮が紹介されています。