2022年7月22日金曜日

人尊協で福岡大空襲あと巡り


原西校区人権尊重推進協議会では21日(木)に
フィールドワークを開催しました。

今回は昭和20年6月19日深夜に福岡を襲った
福岡大空襲の被災地をめぐりました。

最初に行ったのは今の中央区簀子(すのこ)小学校の
跡地周辺での空襲のあとです。
焼夷弾がそれこそ雨のように降って落ちてきました。


ここは簀子小学校跡の南側にある円王寺にある
無縁仏地蔵尊です。

空襲で多くの方が亡くなり遺体が荼毘に付されましたが、
身元が分からなかった方もたくさんおられました。

土台になっているのは空襲でバラバラになった
墓石を集めて作られました。
    

元中学校教師の井形敏子さんが案内をして
下さいました。


簀子小学校跡地の南側の公園に建っているのは
戦災死者の供養塔です。
後ろは赤レンガの塀で空襲の時にここを
乗り越えて逃げられたとの。当時1.3mの高さ。
レンガ塀にはあらかじめくりぬいてトンネルにして
あり、くぐって逃げた方もありました。


横に説明書きがありました。
公園の片隅ですが大切な記録ですね。


平和台陸上競技場の北西側に碑があります。
現在の陸上競技場・野球場跡地・裁判所跡地や
福岡城址・舞鶴公園にかけての広大な敷地
はかつて陸軍の連隊・司令部がありました。
空襲でほとんどが焼け落ちたとのことでした。



ここで一休み。
鴻臚館の跡地です。
大陸と九州の交易の場所です。
平和台球場の跡地にあります。


少し歩いて赤坂小学校近くの細い道沿いにも碑が
歩兵第十二旅団司令部
福岡聯隊区司令部
と書いてあります。

小学校の敷地ではとても悲しいことが
あったことも聞きました。

今回歩いたのは戦争の悲劇の極一部でした。

         


       あの日のように暑い夏が今年も来ましたが、
        お堀の蓮は何事もなかったように
        咲いています。

       戦争でお亡くなりになられた多くの方の
       ご冥福を心からお祈りいたします。
                 合掌