6月19日(水)に原西人尊協ではフィールドワークに出かけました。
行先は西区今津と今宿です。
今津公民館では、中村館長が今津福祉村についてのお話をして下さいました。
福岡市に社会福祉協議会がまだ立ち上がっていない時から昭和45年、校区住民と校区内福祉施設が共同で今津福祉村を全国で初めて組織しました。今津地区ではいろいろな福祉関係の建物が建っています。病院・福祉施設・視覚不自由な方の国立の施設(かつて近くのJAでは点字の通帳がありました)現在では子どものための住宅もあります。福岡市の福祉の先進地です。
また、地域を挙げての夏祭り・ふれあい文化祭・高齢者への福祉配食などで盛り上がっている状況もパワーポイントを使って説明していただきました。
話の内容から社会福祉協議会の視察にはピッタリの
内容だなぁと思いました。
続いて、今津といえば人形芝居です。
歴史は古く、江戸時代後期に大分県の北原人形芝居から伝授を受けたのが始めでした。
その後1891年に「恵比須座」が結成され、現在は地区の子どもたちに継承活動を続けてあります。
人形のつくりと動かし方を教えていただきました。
本来は3人で動かします。
女性の人形の顔が・・・・・
↓ ↓
閲覧注意!!
一瞬でこんなに怖い顔に変身~~
今津には鎌倉時代に作られた元寇防塁の跡があります。
博多湾沿いに20キロにも渡って高さ3メートルの石垣を
何と半年で九州の御家人が作りました。
まだまだ、1メーターくらい埋まっています。
皆さん、感激の写真撮影。
今津の海岸はまさに白砂青松でした。
昼食後に訪れたのは今宿地区です。
ここは旧玄洋公民館で、現在は文化財の展示がされてあります。
ここでは女性解放運動の先駆者「伊藤野枝」さんの故郷を訪ねて廻りました。
今宿で生を受け、東京で日本の女性解放運動や雑誌「青踏」の編集者としても活動されましたが、1923年関東大震災のどさくさに非業な死を遂げられました。
昨年は亡くなられて100年になりましたので、伊藤野枝さんのことを改めて思い出した人も多かったんじゃないでしょうか?
今宿にある伊藤野枝さんの関係先を歩いてみました。
遠くに見えるのは能古島。
あそこまで泳いだこともあったそうです。
伊藤野枝さんの墓石は今宿の山深いところにあります。
大きな石が置いてあるだけの墓石です。
これは旧道の三叉路にある道しるべ。
「右桜井道」と書いてあります。
今宿の交差点の北側100メーターくらいのところに立っています。
普段は気が付かない歴史というものが確かにあることに気が付いた人尊協フィールドワークでした。